2012年7月22日(日)”メッセージ「報いたもう神」”

聖書箇所「マタイ伝10章11節~42節」

・「私の弟子だと言うので、この小さい者たちの一人に水一杯でも飲ませるなら、真にあなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません」(マタイ伝10章42節)

①弟子となる為には
  弟子となる為の心構え。
 「私が来たのは地に平和をもたらす為だと思ってはなりません。私は平和をもたらす
為に来たのではなく、剣をもたらす為に来たのです」(マタイ伝10章34節)
・救われる為には、神の恵みと信仰のみによる(神から無条件で提供されている十字架
による罪の赦しと復活を信じること)他に何も必要ではない。
・ここで言われているのは、救われて赤ちゃんのままで止まるのか、高峰をめざして
成人したクリスチャンになるのかと言うことを間違えないように。

1)剣をもたらす。
 ・キリストを信ずる時、かつては愛する関係であった親子・兄弟姉妹の間柄も敵対
関係に入ることを意識しなさい。
 ・信じる人と信じない人との間に分離が起こる。
 ・剣をもたらす、とは2分するの意。
 ・「万軍の主、この方を聖なる方とし、あなたがたの恐れ、この方をあなたがたの
おののきとせよ。そうすれば、この方が聖所となられる。
  しかし、イスラエルの2つの家には妨げの石、躓きの岩、エルサレムの民には、
罠となり落とし穴となる」(イザヤ書8章13、14節)

 ・この方が聖所となられるとは-神が苦しい時にかけこむことの出来る助け、
  避け所、岩となられるの意。
 ・上記の御言はユダヤ人に対する予言です。
  予言の如くユダヤ人たちは、イエスを信じた者と信じない者とに2分されて来た。
今も2分されている。そしてイエスを信じたユダヤ人たちは、一番親しい者
  達からも迫害されている。私たちはどうでしょうか?

2)「自分の十字架を負って私について来ない者は私にふさわしい者ではありません」(マタイ伝10章38節)

 ・イエスは父なる神の御命令に従い、御自分の十字架を負って世から拒否され
  ました。
 ・イエスがこの世から拒否されたのだから、イエスに従う私たちも、また歓迎されず
拒否されますよ、と言うことを覚えておきなさい。
 ・この世から賞賛される方向ではありませんよ、と言う事を自覚しなさい。
 ・「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりも、私を先に憎んだこと
を知っておきなさい」
 もし、あなたがたが、この世のものであったなら、世は自分のものを愛した
 でしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、却って私が世から、
 あなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです」
 (ヨハネ伝15章18節、19節)
 「僕はその主人に勝るものではないと私があなたがたに言った言葉を覚えておきな
さい。もし人々が私を迫害したら、あなたがたをも迫害します。もし彼らが私の
言葉を守った なら、あなたがたの言葉をも守ります」(ヨハネ伝15章20節)

3)「自分の命を自分のものとした者は、それを失い、私の為に自分の命を失った者は
それを自分のものとします」(マタイ伝10章39節)
 ・この御言葉は死ぬことは生きることであると教えています。即ち、自我に死んで
キリストに生きることである。
  ガラテヤ人への手紙 2章20節には
  「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているの
  ではなく、キリストが私の内に生きておられるのです」とあります。
 ・キリストに生きる者は、自分を立ち上げて行く方向ではなく、益々、自分の
  弱さを覚え、キリストに信頼する方向に向かいます。自分の自我に死んで
キリストに生きることを学びます。
 ・パウロは「私が弱い時に主が強い」と言いました。自分に死ねば自分に執着しま
せん。
 「まことにまことにあなた方に告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければそれは1つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分の命を愛する者は、それを失い、この世でその命を憎む者はそれを保って永遠の命に至るのです」(ヨハネ伝15章24,25節)

②励まし(マタイ伝10章40~42節)
1) 「あなた方を受け入れる者は私を受け入れるのです。また私を受け入れる者は私
を遣わした方を受け入れるのです」(マタイ伝10章40節)
・イエスのメッセージを伝える者の言葉を受け入れる者はイエスを受け入れるの
です。
イエスは弟子達を遣わすにあたり、遣わされる者へのイエスの保証をして
おられ、励ましておられます。
2) 「私の弟子だと言うので、この小さい者達の一人に水一杯でも飲ませるなら、
まことにあなた方に告げます。その人は決して報いに漏れることはありません
(マタイ伝1 0章42節)
・イエスの弟子に対して愛の行為を行った者は必ず報いがある。決してその報いに
漏れることはありません。
・ここでもイエスは御自分の弟子だと言うので、水一杯でも飲ませるなら、その水
一杯を与えた人に対して主御自身が報いて下さるから安心して主の奉仕に当たり
なさいと励ましていて下さいます。
・「信仰がなくては神に喜ばれることはできない。何故なら、神に来る者は神の在
   ますことと、御自分を求める者に報いて下さることを必ず信ずる筈だから
   である」
(ヘブル書11章6節)
・神に来る者、神を求める者には、神の在ますこと、即ち、宇宙の創造主であり、
  凡ての物の所有者である神の存在を信じ、そして、神が報いて下さる御方である
  と信ずるようになります。真剣に神を求め、正しいことを行おうとしている
  私達に神様は報いて下さる御方であると言うことを信じましょう。
 ・「私に仕えると言うなら、その人は私について来なさい。私の居る所に私に仕える
者もいるべきです。もし私に仕えるなら、父はその人に報いて下さいます。
(ヨハネ伝12章26節)
 ・ここでも主は御自身に仕えようとしている者に対して報いがある、天の父が報いて
下さいます、と言われています。
 ・御心を行った者、人生を懸けて主に従った者、心を尽くし精神を尽くして神を求め
る者には、神は必ず報いて下さると御言は保証しています。
 ・あなた方が多くの実を結び、私の弟子となることによって私の父は栄光をお受けに
なるのです」(ヨハネ伝15章8節)

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