「会堂管理者の娘の蘇えりと長血の女の癒し」

「7月8日メッセージ」
「会堂管理者の娘の蘇えりと長血の女の癒し」

マタイ伝9章18節~26節
マルコ伝5章22節~43節
ルカ伝8章41節~56節

今回は、マルコの福音書に従って学び、今、現在の私達の語りかけていて下さる神の御言を学びたいと思います。

1)会堂管理者の1人でヤイロと言う人物-イエスが出席されたことのあるカペナウムの会堂の長老で会堂の管理と礼拝の準備の責任を負っていた。
・娘-私の娘(マタイ)、私の小さい娘(マルコ)
   12才くらいの1人娘が死に掛けていた(ルカ)
・そこでイエスは彼と一緒に出かけられたが多くの群衆がついてきてイエスに押し迫った。

2)12年間、長血を患っている女
 1)この女は多くの医者から、ひどい目に合わされて、自分の持ち物を皆使い果たしてしまったが何の甲斐もなく、却ってひどくなる一方であった。
・彼女は自分の持ち物を凡て使い果たし、良いと思うことを凡てやったが、凡て駄目だった。彼女は万策尽きていた。
・レビ書15章25節~27節
 「もし女に月の障りの間ではないのに長い日数に亘って血の漏出がある場合、或いは月の障りの間が過ぎても漏出がある場合、その汚れた漏出のある期間中、彼女は月の障りと同じく汚れる」

・この女性は身に穢れがあることを自覚していたので、彼女の心の中に恥じらいとたじろぎがあり、公けに憚られ、大声で直して下さいと近付けなかったのではないでしょうか?しかし、自らの努力に万策尽き、なすべき方法がなく、イエスの噂を耳にしてただ一心でイエスに近付きたかったのです。
・それで群集に紛れ込み、しかもイエスの後ろからその衣の房に触りました。彼女の心の中には「お着物に触ることでも出来ればきっと直る」と言う信仰がありました。
3)この一途な心が神に出会う心です。
  マタイ伝5章8節:「心の清い者は幸いです。その人達は神を見るから」と言われている心です。心の清い者は幸いです。と言われている清い心とは、いわゆる聖人君子の清い心の意味ではなく、真すぐな純粋な一直線の心の意味です。
・ただキリストだけを目当てに一直線に向かっていた。そして生きたキリストに出会ったのです。

4)衣の房
  マタイとルカには「着物の房に触った」とあります。
民数紀略15章37節~39節
「ユダヤ人が主の命令を思い起こして守るために着物の四隅に房を付けた」
ユダヤ人は、その衣の四隅に房を付けていました。
しかし、それはまた権威の象徴でもありました。

5)神の出来事は力のある事実
「するとすぐに女の病が癒され、イエスも自分の内から力が外に出て行ったことに気付いて・・・」
・真の神の出来事は、信仰の出来事は力がある事実なのです。
霊の出来事は表面には、すぐに現れてこないようでも、現実に出来事が起こり、動いている出来事です。

・弟子達はイエスの「誰が私の着物に触ったのですか」と言う言葉に戸惑い「群衆があなたに押し迫っているのを御覧になっていて、それでも「誰が私に触ったのか」と御仰っるのですか?」と言った。弟子達にはイエスが理不尽なことを言われたと思い霊の出来事を察することができなかった。

6)恵みを証することの必要性
  「イエスはそれをした人を知ろうとして見回しておられた。女は恐れに戦き、自分の身に起こったことを知り、イエスの前に出て、ひれ臥しイエスに真実を余す処なく打ち明けた。
ルカ伝8章47節~には「凡ての民の前で」とあります。
・神の恵みは証とする必要があります。
神の栄光のために神の恵みを凡ての民の前で証ししましょう。聖書には、神の恵みを述べ伝えよ。会集の中で神を褒め称えよと何度も語っています。
・証をした時に、更にイエスから恵みの言葉を頂きました。
この女性は穢れを身におびていると意識していたので、他人に汚れを移さない為に本来なら、誰にも触れなかったのです。
しかし、もう隠し切れないと知り、震えながら進み出て恐れおののき凡てを話しました。その時、イエスの答えは、すばらしく恵みある御言葉でした。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、健やかでいなさい」
・証をすると、さらに恵みが加わります。

7)ヤイロの娘の死が報告される。
「イエスは、その話の言葉をそばで聞いて、会堂管理者に言われた。恐れないで、ただ信じていなさい」
8)人々はイエスを嘲笑った。
今でも人々はそうではありませんか。自分達の意識外のことには耳を貸さず、神の力を信じない人々はイエスを嘲笑っています。
・「人々はイエスを嘲笑った。しかしイエスは皆を外に出し、ただその子供の父と母、それに御自分の供の者達だけを伴って、子供のいる処にいる所へ入ってゆかれた」不信仰な者は神の奇跡を見ることは赦されません。
「コリント1章18節」
「十字架の言葉は滅びに至る人々には愚かであっても救いを受ける私達には神の力です」
9)少女の蘇えり
ルカ伝8章54節、55節
「イエスは娘の手を取って叫んで言われた。「子供よ起きなさい」すると娘の霊が戻って娘は直ちに起き上がった」
・イエスの前には霊と肉体とが分離して動かなくなった少女の身体が横たわっていました。そして少女の手を取って「タリタクミ」と言われ、少女の霊をその肉体に戻されました。そして少女は生けるものとなったのです。
・この出来事はアダムの創造を連想させます。
創世記2章7節
「神のある種は土地の塵で人を形造り、その鼻に命の息を吹き込まれた。そこで人は生き物となった」
・アダムの鼻に命の息を吹き込んで生ける者とされた同じ主がこの少女の霊を戻されて生ける者とされたのです。
・あなたが霊と肉体が分離する時、あなたは(霊は)何処へ行くのでしょう?あなたは何処へ行きたいですか?


白羽根シオン・キリスト教会