2012年7月29日”メッセージ「パブテスマのヨハネとは?」”

聖書箇所:マタイ伝11章2~15節

①イエスとパブテスマのヨハネの弟子問答
 1) パブテスマのヨハネの現状
  ・パプテスマのヨハネは幽閉されて久しかった。ガリラヤ及びペレヤの国王、
ヘロデアンテパスによって幽閉されていた。
   場所-マケラスの砦、ヨルダン川の東、今のヨルダン国内
  ・ヨハネはその弟子たちに託して「おいでになる筈の方はあなたですか、
それとも、私たちは別の方を待つできでしょうか」(マタイ伝11章3節)
と言い送った。
  ・なぜですか
   この言葉からヨハネはイエスが待ち望んでいたメシヤだと言う確信がゆらぎ
心が動揺していた様子が伺われる。
   ヨハネの幽閉は緩慢で獄中で弟子たちがイエスの言動を聞いていたと思われる。
しかし、自分の期待していたメシヤの言動とは異なっていた為、不安になったに
違いない。そして今、自分は囚われの身で自由に活動ができない状態にある。
2) 「おいでになる筈の方」(マタイ伝11章3節)
   パブテスマのヨハネが期待していたメシヤ像
  ・ヨハネは獄中でイエスの言動を弟子達から聞いたが、自分の期待に反した為、
確信が揺らいだと思われる。
・ではヨハネは、どのようなメシヤ像を持っていたのでしょうか?
   マタイ伝3章11~12節には「私はあなた方が悔い改める為に水のパブテスマ
を授けていますが私の後から来られる方は私よりも、さらに力のある方です。
私はその方の履き物を脱がせてあげる値打ちもありません。その方はあなた方に
聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。手に箕をもっておられ、御自身
の脱穀場を隅々まで清められます。麦を倉に納め、穀を消えない火で焼きつく
されます。
   麦とは-キリスト者
   穀とは-不信者、消えない火とは-ゲヘナ、地獄は消えない火と言われている。
  ・メシヤが来たら、悪をふるい分けて、すぐに神の国が到来すると思っていた。
  ・旧約聖書のメシヤ予言は、キリストの初臨と再臨の区別がはっきり明示されて
いる訳ではない。
キリストの初臨-苦難のメシヤ、人に捨てられ十字架に懸かって贖いを全う
し、復活、昇天された。
キリストの再臨-栄光のメシヤ、ユダヤ人の待ち望んだ神の御国、天の御国、
新約時代の言う千年王国を実現させるため。
・故えにヨハネは栄光のメシヤ像を持っていたので、弟子達から聞くイエスの
言動が良く理解できなかったと思われる。
3) イエスのヨハネへの答え
   聖書中のメシヤ預言の御言で答えられる。
イザヤ書35章5,6節「その時、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえ
ない者の耳はあく、その時、足のなえた者は鹿のように跳びはね、口の利け
ない者の舌は喜び歌う」
イザヤ書61章1節「神である主の霊が私の上にある。主は私に油を注ぎ、
貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者を癒す為に私を遣わされた」
マタイ伝11章5節「目の見えない者が見、足の萎えた者が歩き、ツアラトに
冒された者が清められ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者
   達に福音が宣べ伝えられている。誰でも私に躓かない者は幸いです」
 ・バプテスマのヨハネは予言者です。聖書を良く知り、神の言と予言を信じてい
   ます。ヨハネは聖書の預言の通りに出来事が進んでいるのを知って安心したこと
   でしょう。

○ここで2つの事を学びたい。
 ①ヨハネは心に疑いが起こった時、くよくよ思わず、弟子達と問答して結論を出す
  のではなく、直接、イエスに質問したこと。
・私達も心に疑いが起こった時、心配事がある時、人に聞くのではなく、直接、
  神様の処に持って行きましょう。それは祈りです。神に聞き、祈りましょう。
○バプテスマのヨハネほどの人でも疑いが起こり迷うと言うこと。
 1) バプテスマのヨハネはイエスに洗礼を施し、イエスが水から上られると天から
   鳩が降りて来てイエスの肩に留まったのを目撃した。
2) そして天の父からの声を直接聞いた。
  「これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ」と
3)ヨハネは自身「見よ。神の子羊」とイエスを指し示し、イエスをメシヤとして
  群衆に紹介したのです。
 ・しかし、自分は幽閉されており、イエスが自分のメシヤ像と異なることを聞
  いた時、疑いが起こりました。
・ましてや私達の内に疑いが起こることがあったとしても心配はいりません。聖書
  を信じ、御言を信じましょう。聖霊様が御言を指し示し導いて下さいます。
○ヨハネの疑いから考えたいこと。
 1) 自分の思い込みがあると言うこと。
  私達は物質の世界の中に生き住んでいますから、その同じ基準で聖書を理解
  しがちです。
  自分の思いこみやこの世の基準で聖書を理解しようとすると誤解が生じる。
・聖書をよく読み、学んで神様の考え方、基準に合わせて行くということ。自分の
  思い込みを脱ぎ去り、霊の考え方に移行して行く。
2) 集会には出席する-一本の灯火では消え易い。多勢の霊の火が燃えている所に
   出席すると神の導きを受け易い。
  ロマ暑12章11節「勤勉で怠らず、霊に燃え主に仕えなさい」
 ・新約のクリスチャンには定期的に集まり、御言を学び、共に祈り賛美し励まし
  合い、御互いの信仰の火を燃やし続けるよう勧められています。

②イエス、バプテスマのヨハネについて語られる。
1) 彼は荒野で呼ぶ者の声です。(ヨハネ伝1章23節)
  マタイ伝11章7節-何を見に荒野に行ったのですか-風に揺れる葦ですか
  マタイ伝11章8節-何を見に行ったのですか-柔らかい着物を着た人ですか
           -そうではないでしょう
         (イエスは群集に否定の答えを予想する疑問文でたずねられた)

 ・風に揺れる葦とは-イ)時代の風潮に流され易い人
           ロ)人々の意見に左右され易い人
           ハ)権威によって左右され立場を変え易い人
 ・柔らかい着物を着た人-裕福な生活に慣れ、ぬくぬくと生活している人
 ・イエスの答え
  マタイ伝11章9節-そうではないでしょう!でなかったら、
            何故行ったのですか?
            予言者を見る為ですか?その通り
  バプテスマのヨハネは荒野で叫ぶ者の声として、イエスの先駆者として真剣に
  人々に悔い改めよと叫んでいた。「見よ。私は私の使者を遣わす。彼は私の前に
  道を整える(マラキ書3章1節)
 ・バプテスマのヨハネは「マラキ書3章1節」の予言の成就として来た人だと主は
  言われる。
2) 「まことにあなた方に告げます。女から生まれた者の中でバプテスマのヨハネ
   よりすぐれた人は出ませんでした」(マタイ伝11章11節)
・主は旧約の予言者中、最大の人はバプテスマのヨハネだと言われました。
 ・「しかも天の御国の一番小さな者でも、彼より偉大です」(マタイ伝11章11節)
  新約の聖徒は一番小さな者であったとしてもバプテスマのヨハネより偉大です。
 ・新約の聖徒はキリストの血で贖われ、キリストの内往を頂いている者です。
 ・新約の恵みが如何に破格であるか覚えたい。
 ・新約の聖徒はキリストの花嫁の位置付け。
  「私はあなた方を清純な処女として一人の人の花嫁に定め、キリストに捧げる
   ことにしたのです」(Ⅰコリント書11章2節)
 ・推挙の後、天で婚礼が催される。
3) ヨハネは旧約聖書最後の予言者
  「ヨハネに至るまで凡ての予言者達と律法とが予言をしたのです」
  (マタイ伝11章13節)
 ・何を予言したのですか?
  旧約の予言者達が凡てがメシヤの到来を予言したのです。
 ・そして直接メシヤを指し示し、紹介したのはバプテスマのヨハネです。
 ・主は言われる。
  あなた方が進んで受け入れるなら、この人こそ、来るべきエリヤなのです。
  耳の有る者は聞きなさい」(マタイ伝11章14節)
 ・主の来臨の前にユダヤ人は予言者エリヤが来ると信じて待っていた。
 (そして今、現在もキリストを信じないユダヤ人達は過越しの祭の儀式中にエリヤ
  の席を設けてキリスト来臨の前にエリヤが来る儀式を遵守している。)
・「見よ。私には主の大いなる恐ろしい日が来る前に予言者エリヤをあなた方に
   遣わす」(マラキ書4章5節)
 マタイの福音書11章14節の意味は、もし、あなた方が私(イエス)をメシヤ
  だと受け入れるならば、
  この人こそ即ち、バプテスマのヨハネこそ、メシヤ来臨を告げるとあなた方が
  待っていたエリヤなのです。そして、あなた方が私をメシヤだと受け入れる
  ならば、彼はその役割を果たした事になるのですよ。耳の有る人は聞きなさい
  とイエスは言われた。
・しかし、彼らはイエスをメシヤだと受け入れませんでした。


白羽根シオン・キリスト教会